「大人が未成年を性の対象にすることを肯定するメッセージ」について

日経新聞に掲載された「月曜日のたわわ」の広告について書いた記事で、以下のように書きました。

 

hepta-lambda.hatenablog.com

 

「「月曜日のたわわ」は未成年を性の対象として描いた作品であり、日経新聞という社会人をターゲットとした新聞の紙面に女子高生のイラストを用いた広告を載せることは、大人が未成年を性の対象にすることを肯定するメッセージとなるので問題」という意見はある程度同意できます。

 

ただまあここで言う「ある程度同意できる」というのは「気持ちはわかる」くらいの意味で、やっぱりこの理路を持って「広告の掲載は不適切だった」とは言い切りたくないんですよね。

未成年に対して(読者が)性的な視線を向けることを楽しむ漫画なのは確かなんですが、対象は非実在のキャラクターだし、Aという概念を肯定的に描いているフィクションの広告を載せた媒体は即ち現実でもAという概念を肯定するメッセージを発している、とはならないと思うので

 

 

ここに関連する記述(ブコメ返信)についてコメント欄で突っ込みを頂き、改めて自分の記事を読み直したところ、自分の脳内にあった考えをうまく文章として出力できていない上に、複雑な問題であったため考え自体が混乱していたなと感じました。
改めて整理して自分の立場を表明しようと思います。
 
 

1.「未成年を性の対象にすること」とは

一言でざっくりまとめてしまったけれど、「未成年を性の対象にすること」の中には、問題になる行為とならない行為があります。
 
 

A.非実在の未成年を性的に鑑賞したり、それを発信すること

これについては対象が非実在である以上問題のある行為ではないと思います。
 
B.現実の未成年を性的に見る・思うこと(それを内心に留めること)
これも内心に留める以上問題ではないと思います。
発信を伴うものであっても、同好の士の間で語り合うとか、「実際の未成年に伝わらないもの」はここに入れます。
 
C.現実の未成年に性的に見ていることが伝わる行動を取ったり、接触を図ること
現実の未成年に「性的に見ていること」が伝わるような行動を取り恐怖心や不快感を与えたり、接触を図ったりすること、ここからが明確に「問題」となる行動であると思います。
 
 
細かく各行動や発信を見た時「これはアウト?セーフ?」と議論になるものはあると思いますが、今回はおおまかにこのように分類して考えます。
 
 

2.「肯定するメッセージ」とは

発信者が何らかの表現を行った場合、ある概念について「肯定するメッセージを発している」という状態にも、大きく分けて二種類あると考えます。

 

①明らかに発信者が肯定する意図が読み取れる場合
「そうだ、京都へ行こう」と書いてある広告が掲載されていたら、広告の出稿者、掲載媒体共に「京都へ旅行に行くことを肯定している」ことは明らかであるように読み取れます。
出稿者や掲載媒体の頭の中を覗くことができない以上、本当はどういう意図を持って広告を出したのかは外部の人間からは完全にはわからないので結局は「多分肯定しているだろう」と外から見た印象で勝手に判断するしかないですし、「肯定している」と見る人も「肯定していない」と見る人もいて議論になるようなケースもあります。


②発信者にその意図が無くとも、結果的に「肯定するメッセージ」となってしまう場合
たとえば「ある特定の国や地域で「差別的である」とされているポーズや構図を知らずに使ってしまった」とか、発信者の意図にかかわらず「メッセージとして機能してしまう」ということはあります。

 

・今回の広告に対する私の見方
ここに関してはあくまで「私の見方」であり他の見方をした人の意見を否定するものではありません。
私は今回日経新聞が掲載した広告が前段落のCにあたる「現実の未成年に脅威を与える行為」を①肯定しているようには見えませんでしたし、②肯定するメッセージとなってしまっているようにも思いませんでした。
今回講談社日経新聞が肯定していると読み取れたのはあくまでAの「非実在の未成年を性的に鑑賞すること」であり、それ自体は問題であると思いませんでした。
(気持ち的には「たとえ非実在とはいえ日経新聞の発するメッセージとしては下品では?」という思いはありますが、「不適切である」とは思いませんでした)

 

3.でも「肯定するメッセージとして受け取ってしまう人」はおそらく居る

発信者の意図がどうあれ、表現というのは受け手に様々な印象を与えます。
これは発信者がコントロールできないもので、究極的にはどんな表現であってもそれを「悪いメッセージ」として受け取ってしまう人は居ます。

今回の場合、「肯定するメッセージとして受け取ってしまう人」にも大雑把に二種類の人間が存在すると思います。


①性的な被害の経験がある当事者
性的な加害を受けたことがあり、今回の広告を「日経新聞の読者層のような大人たちが自分達のような未成年を性的に見ることを、日経新聞のような「真面目な」媒体が肯定している」と受け取って傷付いてしまう、社会への絶望を深めてしまう未成年の当事者です。

 

②未成年を性的に見る側の大人
今回の広告が日経新聞のような「真面目な」紙面上にも掲載されることで「未成年を性的に見ることは当たり前のことだ」という感覚を持ってしまう大人です。

 

・今回の広告に対する私の見方
私がこの「肯定するメッセージ論」に「ある程度同意できる(気持ちはわかる)」と言ったのは、①の「被害を受けた当事者」が傷付いてしまう可能性があると思ったからです。
私は今回の広告がCを肯定するものではないと考えているので、このようなメッセージとして受け取ってしまう被害当事者が居たとしても「日経新聞はあなたの受けた被害を肯定してはいないと思う」という立場です。
ただ、現実に傷を負っている子供に対して「それはあなたが勝手にそういうメッセージを受け取っているだけ」と切り捨てるのはあまりに残酷であるとも思っています。
なので、これを持って今回の広告が不適切であるとは思わないけれども、気持ちの上では「せめてもっと「大人から子供への性的な目線」を想起させづらい媒体への掲載にできなかったものかな」と思っています。

②については、こういった「表現が世界に悪影響を与える」論については「本当に悪影響を与えているか」がはっきりしない限り「不適切」とは言いたくないです。
今回の広告のような表現の影響でCのような行為を行う人が増える、ということが証明されていない以上、「悪影響を与えていそうだから」で不適切と言うべきではないと考えています。

 

 

 

私はフィクションに救われて生きている人間なので、「なるべく多様な表現が溢れる世界に生きていたい」と思っており、「表現の規制ではなく現実に働きかけて加害を無くしていく」ことが理想だと思っています。
そのため、ある表現について「不適切だ」と言い切ることは、よほど悪質に感じるケース以外にはしたくないという考えです。
「不適切」ではなく「個人的に不快」という言葉なら使うと思います。


改めて強調しますが、上記の文章はあくまで「私の意見」であり、異なる意見を否定するものではありません。

「月曜日のたわわ」広告記事へのブコメを起点としたlegnum氏とのやり取り

最初は元の記事に追記する形を取っていたのですが長くなったので別記事に分けます。

 

hepta-lambda.hatenablog.com

こちらの記事に付いたlegnumさんのブコメに私が記事上で返信を行いました。

 

id:legnum 現実の性被害とそれと同等の視線の暴力性について調査どころか考察もほぼ無いのに新聞取り寄せた程度で「すごい労力!」ってどこまでも性被害を軽く見てんなあ…。理解せず譲歩するだけって乞食にお金恵む感覚だろ

 

私の返信は以下です。

私の考えや記事の内容が足りていない、という部分は全面的にその通りです。
この先の文章、かなり卑怯で行儀が悪く本来書くべき内容ではないことを理解した上で書くのですが、
この方が過去のはてなダイアリーに書かれていた性犯罪を肯定するような冗談の記述をいくつも見た上で*1

こういう人に「性被害を軽く見てる」とかマジで言われたくねえ~~~~!!!(お気持ち大絶叫)
性被害が軽く見られがちな風潮を作ってきたのって「月曜日のたわわ」の広告とかよりもあなたが言ってきたような現実の人間を対象にした「冗談」の数々じゃないんですか!?(根拠のない決めつけ)
どの立場からそんなこと言ってるんですかあなた!!

 

いや「5年あれば紙面の雰囲気は変わる」とか言った後に14年も前の記事を引っ張り出してくるなって話なんですよ。申し訳ありません。行儀が悪すぎる。
legnum氏に関しては、今回の広告を「問題ない」とした女性の方を「ミソジニーおじさん」呼ばわりしたり、同じく女性の立場から「問題ない」と書かれた記事に「埼玉のオッサン」タグを付けたり「俺の認める意見を言う女だけが女」という態度を何度も取られていて、それが目に入るたびに一人でバチギレしていたので完全に私怨です。
マジでこの手の騒ぎにおける「俺/私が認めたやつだけが女」ってやつ死ぬほど嫌い。一番嫌い。ふざけんなって思う。

 

これを起点にlegnumさんとやり取りを交わさせて頂きました。

 

legnumさんとのやり取りについては閲覧制限をかけたlegnumさんのブログ上で行ったのですが、「全公開は避けてほしい」とのことなので要約を以下にまとめます。

改めて確認しなかった私にも非がありますが、legnumさんはやり取りの前に以下のように仰られていましたので私としては最終的に内容を公開して頂けるものと思っていましたし、legnumさんが一方的に公開・非公開の権限を持つことができる場所でのやり取りをしたくありませんでした。*2

残念に思っています。

上記ブログ記事のメタブコメント(現在は書き換わっています)

 

legnum氏と交わしたやり取りの要約

※5月2日 18:05追記※

私(hepta-lambda)=女性legnumさん=男性

ですが、以下の会話の開始時点ではlegnumさんは私のことを男性だと思っています。

(以下の②のあたりで私が「女性である」と表明しています)

※追記以上※

 

まず、legnumさんへのコメントにも書いたのですが、
今回のブコメに直接関係ないlegnumさんの過去の発言を引き合いに出したこと、
人の意見は変わるのが当たり前で、legnumさんは過去のご自分の発言をおそらく是としていないだろうなということがわかっていながら14年も前の発言を引っ張り出してきたこと、これらは「卑怯で行儀が悪い」と思っています。
卑劣な喧嘩の売り方をしてしまったこと、重ねてお詫び申し上げます。

 

以下やり取りの要約です。

 

①legnumさんが広告擁護派の女性に「埼玉のオッサン」タグを貼ったりなどの「男性扱い」した事について、
・たわわ広告擁護側やアンチフェミの方々がよくやっている事を真似しただけ
 (擁護派の女性を指して「真のフェニミスト」扱いするような行為に対抗していた)
・そっちが「俺の認める意見を言う女だけが女」を展開して来るならこっちもやる
・「もし本当に女性ならごめんなさい。マジョリティの為の犠牲になって」「でも証明出来てないし大半がネカマでしょ」「これ言われて怒るの本人だけでしょ?」ぐらいに思っていた
ということでした。
 
②それに対して私は
・legnumさんが「オッサン」扱いした当のご本人達がそういったことをしていないのだったらそれは八つ当たり的というか、単にlegnumさんがその方達に対して失礼なことをしているだけになってしまう
・雑な決め付けや煽りをしていない人の言葉については、legnumさんと異なる立場を取っていたとしても一つの意見としてまず聞いてほしい
・特にこういった問題で発信している女性に向かって「お前は女じゃない」と言うことの暴力性を軽く考えすぎでは?
という返信をしました。
 
③legnumさんからのお返事として
・「カウンターとして成立していない」に対しては、男が女を騙って自分たちに都合のいい話を流布していた場合は成立するが、流れ弾を受ける羽目になる女性の存在については想像力不足だった
・「女じゃないと言うことの暴力性を軽く考えすぎ」についてはその通りだった
ということで、いくつかの「男扱い」ブコメについて削除という対応を取られました。
 
④その他にも幅広い範囲に触れたやり取りを行ったのですが、最終的に私が
拳での殴り合いを肯定的に描いている「ONE PIECE」が国民的漫画であっても、
世間全体に「人を殴るのはよくないことだ」という常識は浸透しているように思います。
性表現と性犯罪に関しても同じところを目指していきたいと思っています。
と意見表明したところ、「女性で「性暴力と暴力を同列に語る」人はいません」と返信を頂き、「私(hepta-lambda)に不信感がある」ということでやり取りの全公開についてご協力頂けないということになりました。
・legnumさんとやりとりがあった事
・やりとりの概要
の記載は可ということですが、私としては、私に不信感があるのでしたら私に概要の要約を任せるのではなくありのままの全文を公開した方がいいのではないか、と思っているので何故私への不信感がやり取りの全公開をしない理由に繋がるのかわからないなと思っています。
「女性はこう言うはず」と規定してそこから外れた人を「女じゃない」扱いする、そういう決め付けで傷付く人が居る、という意見に一度はご理解を頂けたかと思っていましたが、最終的にわかって頂けなかったようでとても残念でした。
 
 
なるべく元の発言を変更せずに参照しているつもりですが
要約内容にご不満がありましたらコメントでご指摘ください。>id:legnum さん
 
※5月2日 14:41追記※
しばらくネットから離れ気味になりますので、修正対応も遅くなると思います。
legnumさん側でも要約記事を公開される、あるいはやり取りの全文を公開する、という形を取っていただいても構いません。

*1:

一例「紹介しt・・・いや隠し撮りしてうpしてくだs・・・・」

https://legnum.hatenadiary.com/entry/20070523/1179901243

*2:

やり取りを交わす場所や公開・非公開について事前に特に話し合いは無く、この後legnumさんがメタブコメをブログ記事のアドレスに書き換えられたところからやり取りが始まっています(5月2日 18:05補足追記)

「月曜日のたわわ」広告、実際に日経新聞の紙面を見た感想(5/4最終追記)

前回の記事で日経新聞に掲載された「月曜日のたわわ」の広告に関連して色々書いたのですが、実際の紙面を見ずにあれこれ言うのも不誠実だと思ったので
件の広告が載っている日の分を含めて5日分の朝刊のバックナンバーを取り寄せました。
実物を目にしてみて思ったことが色々あったので感想メモと、今回の件にまつわる論争を見ていて感じたことなどを書きます。

 

クソほど見づらかったので後から目次を追加しました。

 

 

広告に対する私のスタンス


「月曜日のたわわ」広告に関する私のスタンスはざっくり以下のような感じ

1.広告自体について
かなり気を使って性的な印象を与えないように描かれているなと思いました。
(イラスト自体もそうだし、胸が揉まれている最新刊の表紙が使われていない点も)
とはいえ元の作品が作品ですし性的要素が皆無とまでは思いません。

2.作品内容を踏まえて広告の出稿が適切かどうかについて
性を楽しむ上品とは言えない作品ではありますが、R指定も付いていない全年齢向けコンテンツであり、新聞に広告を載せてはいけないとは思いません。

3.講談社編集部のコメントについて
文面だけ見ると幅広い解釈が可能なコメントなので、これをもって出稿が不適切とまでは言えないかなという判断です。
ただ、ふんわりした言い方をしているものの真意は読めるので心象としてはキツい。
(あと、このコメントは新聞が発行された後でナタリーと講談社のやり取りの中で出てきたコメントであって
日経新聞としてはこの「出稿意図」を知らない可能性が高い(普通にこの日発売の最新刊と作品自体の宣伝と判断して載せているんじゃないか?)と思うので
このコメントを持って日経新聞を批判するのは不当なんじゃないか、と思っています。講談社を批判するならわかるのですが…)

 

「3つのP」に反した広告、「月曜日のたわわ」以外には一つも無いのか?

UN Womenが抗議の根拠としていた、「3つのP」の原則に反する広告、たとえば男女どちらかだけが写っているような広告は問題とされた広告だけだったのか?の確認です。

日本経済新聞朝刊 2022年4月4日号より

日本経済新聞朝刊 2022年4月4日号より

日本経済新聞朝刊 2022年4月2日号より

いっぱいあった!以上!
前の記事で書いたとおり、「3つのP」に反することが規約違反というのであれば「月曜日のたわわ」広告以外にも山ほど抗議の対象となっていなければおかしいので、これを抗議の根拠とするのは無理筋だと思います。
とはいえ、今回の広告の掲載を「問題がある」としている人の中でもこの論に賛成している人はもうほとんど居ないんじゃないかと思うのでここはもうあんまり深掘りしません。

 


以下、実際に3月31日~4月4日の日経新聞を広告欄に注目してパラ見してみて感じた私の感想です。
今生活が忙しめでなかなか一つ一つの広告を隅々までじっくり読み込むことはできていませんが、一通り全ページ目は通しました。

 

「月曜日のたわわ」の広告、場違い感が強い

日経新聞について、事前に「エロ小説を連載していた新聞」とか「もっと下品な広告も載ってる」とかの評判が聞こえてきていたので電車の車内広告くらいの猥雑レベルはあるのかなと思っていたのですが、事前のイメージより数段「真面目な」紙面でした。
広告の傾向としては、ビジネス系雑誌、ノウハウ本、業務用ソフトウェアやITソリューション、経済系のセミナーやフォーラムなど社会人向けの、「ビジネス」「仕事」に関するものの広告が大半を占めている印象です。

 

日本経済新聞朝刊 2022年4月1日号より
こういう企業そのものの広告も多い

街やインターネットに溢れているフィクション系エンタメの広告がめちゃくちゃ少ないです。アプリゲームの広告とか一つも無い。
日経新聞、ちゃんと読んだことなかった(というか普段紙の新聞と無縁)のですが、さすが「経済新聞」の名を冠してるだけあるな…と思いました(小学生並の感想)
ソフトエロというのを横に置いても、突然出てくるラブコメ漫画の広告の異物感が凄い。

 

日本経済新聞朝刊 2022年3月31日号より

日本経済新聞朝刊 2022年4月3日号より

「月曜日のたわわ」の他に掲載されていたフィクション系エンタメの全面広告です。

載ってる作品が多いので探せばインモラルな描写のある作品も結構ありそうな気もします。(探しません)

 


Webで広告のイラストを見た時は、「このくらいのイラストなら新聞に載っても全然ええやんけ」と思っていたのですが、実際に広告が掲載された場を確認してみて、
現実の生活と地続きな(フィクションから切り離されている)光景がひたすら続く中で、急に「フィクションだからこそ楽しめるタイプのエンタメ作品」の広告がどどんと挿入されたので、Web上で広告単体を目にした時と比較してかなり強い違和感を感じたし
「なんで出したんだよここにこの作品の広告を……」って強く思いました。
脳の切り替えが上手くいかないというか、「今全然そういうモードじゃなかったわ」って気分になったというか。

 

あと上でも書いたとおり、イラストに関しては「かなり配慮されて描かれてるな」と思ったのですが、
このくらい大人しくしないと「なんか浮いてる」を超えて強烈な異物と化してしまうので
日経新聞に載せるにはこれが最低ラインということなのかなという印象を持ちました。

 

日本経済新聞朝刊 2022年4月3日号より
「アニメとかゲームとかと無縁の世界だ…」と思いながら捲っていたらでっかい富野監督が出てきて笑ってしまった(広告ではなくインタビュー記事)


なんというか、今回の広告の問題点、あるいは見た人が嫌悪感を感じた理由の一つとして
描かれていたのが未成年の女子高生だ、というのが挙げられていて、実際それは私も思ったのですが、
これ未成年じゃなかったらよかったのかというと、描かれていたのがスーツ姿の後輩ちゃん(※登場人物の一人で、社会人の巨乳の女性)だったら同僚女性を性的に見ることを推奨してるっぽく見えるという別のキモさが発生していたんじゃないかなと思いました。
日経新聞の紙面、どうしても「現実」を強く意識させられてしまうので、「フィクションだからこそ許されるコンテンツ」と絶望的に相性悪い…

(※ここで言う「フィクションだから許される」というのは、作中で犯罪行為が描かれているとかそういうことではなく、「非実在の、紙の上にいるキャラクターだからこそ無遠慮に性的な視線を投げかけることができる」とかそういう意味です)

 

まあ、とはいえ「浮いてる」広告を出稿・掲載して読者にギョっとされたとしてもそれは講談社日経新聞の自由だと思います。
私個人の感想としては「もっと相応しい掲載媒体があったんじゃないかな…」と思いますが、普段目にしないような人のところに届けた方が新規の顧客が見込めるのはそうでしょうし。
ただその場合山ほど「きっしょ」って反応されるのは当たり前だと思います。



日本経済新聞朝刊 2022年4月4日号より

あと、「ステレオタイプの強化」が問題視されていたりもしましたが、その観点から言うと「月曜日のたわわ」よりこっちの広告の方がキツかったです(個人の感想)

日本経済新聞朝刊 2022年3月31日号より

書籍の内容の正しさまで踏み込むんだったら文春や新潮の広告も相当正しくないと思います。

 

 

その他、論争を眺めていての感想

今回の件から巻き起こった論争を見ていて思ったことを端的に言うと、


人それぞれ「ライン」の位置が違うのは当たり前。それぞれ自分の意見を主張すればよい


今回の広告がセーフ側に置かれるのかアウト側に置かれるのか個々で意見が違うのは当たり前ですし、それでいいと思います。
これに関しては以下の記事がかなり詳しく書いて下さっていて、ほぼほぼ同意できる内容でした。問題への向き合い方の誠実さと丹念な文章化がすごい。

shin-fedor.hatenablog.com


現状ってわいせつ物の定義もかなりフワフワしてるし、R-18の指定ですら各地の条例や各社の自主規制などに頼っている状況であって、きっちり機械的に判断できるような定量的なラインが引かれている状態ではないのですよね。
参考として、以下は同人誌即売会を主催している赤ブーブー通信社の「R18について考えよう」というページですが、R-18の指定には明確な基準がなく判断目安に幅があること、即売会の主催会社が具体的なラインを提示しがたい理由、などが書かれています。

www.akaboo.jp

大元がフワフワしてるのに加えて、法律やら条例やらの決まりごとだって一度決まったら未来永劫に渡ってその決まりが正しいというわけでもないですし、
一人一人が意見を出した上で現状の「許される範囲」が決まっていくものだと思っています。

 

自分の主張の根拠にあたる論理や基準を恣意的に運用したり、デマを持ち出したりするのは非常に不誠実


前回の記事で触れた「3つのP」についてもそうですが、広範な表現が引っ掛かる基準を採用して特定の表現についてだけ問題視する、といった恣意的な基準の濫用は不誠実極まりないですし、「一つの意見」として聞くことができません。
世の中に存在する全ての表現、自分の好きなコンテンツや自分自身の発信にも適用してもいいと思える基準を使ってほしいです。
(そこを守れば「現実で犯罪とされていることはフィクションでも規制されるべき」なども一つの意見だと思います)
これはもちろん広告を問題視した側の人にだけ言っているわけではなくて、今回の広告を「問題ない」とした人が別の表現について今回の広告まで巻き込むような基準を用いて批判する、なども当然不誠実です。
デマについては言うまでもないですね。

 

「広告問題側」の人の意見で同意できたやつ


「「月曜日のたわわ」は未成年を性の対象として描いた作品であり、日経新聞という社会人をターゲットとした新聞の紙面に女子高生のイラストを用いた広告を載せることは、大人が未成年を性の対象にすることを肯定するメッセージとなるので問題」という意見はある程度同意できます。
もちろん内心の自由はありますし、同じ理路で作品自体の規制まで言われると同意できないのですが、
建前として「そういうのは良くないことだ」と言わなければいけない場というものはあるし、日経新聞の紙面はそういう場でしょ、という話なら「せやね」という感じです。
日経新聞が他にも例えばアイドルを使った広告とかたくさん載せてる新聞だったら違ったんですが、そんな感じではなかったので…(いや河合奈保子のCDの広告なんかは載ってましたが(上に載せた全面広告に載っている商品の一つ))

ただし、大人に比べて影響力のある場で意見を発信しにくい子供の気持ちを代弁して何かの批判をするっていうのは「自分の意見を押し通す為に子供を使う」構図にも陥りがちなので相当慎重にやらなきゃいけないと思ってます。例えば夫婦別姓に「子供の気持ち」を理由に反対するやつとかもそうですが…
これは私が青少年健全育成条例なんかに「私達の意見も聞かずに規制の言い訳に使ってんじゃね〜!!!」ってブチ切れる青少年時代を過ごしたので特にそう思います。

www.jsscc.net

 

※2022年428日 10:26追記※

ただまあここで言う「ある程度同意できる」というのは「気持ちはわかる」くらいの意味で、やっぱりこの理路を持って「広告の掲載は不適切だった」とは言い切りたくないんですよね。

未成年に対して(読者が)性的な視線を向けることを楽しむ漫画なのは確かなんですが、対象は非実在のキャラクターだし、Aという概念を肯定的に描いているフィクションの広告を載せた媒体は即ち現実でもAという概念を肯定するメッセージを発している、とはならないと思うので

追記以上※

 

あと上記の理由で「日経新聞」に広告を載せることに対して問題視するのはある程度わかるのですが、「広告を出すこと」全てを許さない、「目に付くところに出てくるな、ひっそりやれ」タイプの意見については同意しません。

ひっそりやっていれば存在するなとは言わない、と仰られても商業コンテンツの継続に関して非常に重要な要素である「宣伝」を禁じるってそれ「滅びてもいい」って言ってるのと同じなんよ。

 

 

その他、創作物が人に与える影響についてとか色々思うことはあったのですが今回はここまでにします。
文章書くのって、疲れる!!

 

 

 

追記

※2022年4月29日 18:18 ブコメ返信※

id:sametashark 拝見しました。"「今全然そういうモードじゃなかったわ」"ほんとそうなんですよね。他の媒体ならまだよかった。女子高校生で性的嫌がらせ経験済みなら、大人が「広告して何が悪い」言うのも同様に反発ある様な…。 

読んでいただきありがとうございます!誰にも読まれずネットの藻屑と消えていく覚悟で書いたのでとても嬉しいです。
もちろん当事者で、性的な嫌がらせを受けたからこそ件の広告に拒否感がある人は居ると思います。
同様に、私のように「私の被害を表現規制の口実に使ってほしくない」と思っている人も居るでしょうし、別の意見を持っている当事者も無数に居るでしょう。
私が言いたかったのは、私たちがもう現役の当事者(未成年)では無い以上、「子供の気持ちはこうだろう」と判断し、それを元に表現を擁護・批判することには慎重になった方がいいと思う、ということです。
私たちは誰もが子供であったことがあり、それぞれ思いを抱えながら生きてきたので、自らの経験を元に子供の気持ちを想像してしまいがちですが、
成人した以上もう未成年そのものではないので、その立場として物を申すことはできないです。
なので、当事者達へのヒアリングを慎重に重ねない限り、子供の気持ちを「代弁」はしない方がいいと思う、ということが私の意見です。
2022年現在を未成年として生きている人たちとそれ以前を未成年として生きた私たちの見ている景色、絶対に違うので…
批判の根拠としている人だけでなく、「今の子供は萌え絵を見慣れているので件の広告程度なんとも思っていない」と言い切っている成人なんかにも「ほんまか?」という立場です。
当事者の未成年の意見を想像して代弁する形ではなく、一人の大人として傷付いている未成年に配慮したい
(例えば、私自身が今回の講談社日経新聞の担当者のような立場に立った時、性的な被害を受けた未成年の気持ちを考えて掲載媒体や掲載可否を決めたい)という気持ちには賛成です。

 

 

※2022年4月30日 11:19  ブコメ返信その2※

id:yujimi-daifuku-2222 “大人が未成年を性の対象にすることを肯定するメッセージとなる”/このロジックを通すとなると、天空の城ラピュタでドーラ達は縛り首にならないといけません。報いを受けないと悪事を肯定する事になりますから。 

そうですね。犯罪などを肯定的に描いているフィクションの広告を載せた媒体はその犯罪を肯定している、という理論を良しとしてしまうとものすごく広い範囲のフィクションの広告が出せなくなってしまいます。(赤字補足2022年5月4日 6:39)
性犯罪の身近さ、大人→子供という力の差、日経新聞の紙面の「現実」への近さ…などを考慮して特別扱いしてあげたい、という気持ちはとてもわかるのですが、
上でも書いたようにそういった基準の恣意的な運用はすべきでない、と思っているので「気持ちはわかるけど不適切の根拠にはできない」と書いています。

※2022年5月4日 6:39 上記記述を撤回致します。(詳細は↓の追記にて)※


あと、上記のような特別扱いって、「悲惨さが伝わりやすい傷」だけ配慮されてしまう、という問題もあると思うのですよね。
いまいちかわいそうに見えなかったり、発生が稀な被害にあった人なんかは、その傷を抉るような表現が溢れていても特に配慮されない。傷付いて苦しんでるのは同じなのにね、と思います。

(そして全ての人の傷に配慮しようと思うと、表現そのものが不可能になる)

 

id:jaguarsan 写真週刊誌の発売日じゃない日にグラビア載ってないのは当たり前だし、日経には「失楽園」を筆頭に濡場小説がちょいちょい連載されるのでニワカ感は否めない

失楽園」の話は聞いていましたが未だにそういう小説が載ることもあるしグラビアの広告も載ることがあるってことですかね?
そういうことなら「日経新聞はそういう場じゃない」論は撤回するかもしれません…
5日分しか見ていないにわか中のにわかなのは間違いないですし日経新聞ガチ勢からの突っ込みはガンガン欲しいです。
(というか今回ほぼ広告欄しか見てないので記事本文の方にそういう小説などが載っていても見逃してる可能性が高い…(片手落ち))

 

 

※2022年4月30日 17:36  ブコメ返信その3※

id:jaguarsan 直近では2018年の林真理子 「愉楽にて」

具体例ありがとうございます!
完全に個人的な感覚による感想としては、2018年って結構前だし、5年もあれば紙面の雰囲気も変わるような…って感じです。
とはいえ広告と連載小説だと後者は日経新聞が直接提供しているコンテンツですし日経新聞への印象はちょっと変わる気はします。

日経新聞はそういう場じゃない」論に関しては、他にも色々具体例を探しながら考えてみようと思います。

 

id:jzhphy 「場違い感・異物感」については、失楽園+アニメキャラを強く押し出した広告も既出なので(https://bit.ly/3EZ6SHb)、たわわも含めて結局NotForMeで対処できる範囲でしょう。性加害などと言い出すような輩は元より手遅れだし

こちらも具体例をありがとうございます。
やっぱり5日分しか見てない中で「場違い」って言いきっちゃうのはよくないですね。

 

id:legnum 現実の性被害とそれと同等の視線の暴力性について調査どころか考察もほぼ無いのに新聞取り寄せた程度で「すごい労力!」ってどこまでも性被害を軽く見てんなあ…。理解せず譲歩するだけって乞食にお金恵む感覚だろ

私の考えや記事の内容が足りていない、という部分は全面的にその通りです。
この先の文章、かなり卑怯で行儀が悪く本来書くべき内容ではないことを理解した上で書くのですが、
この方が過去のはてなダイアリーに書かれていた性犯罪を肯定するような冗談の記述をいくつも見た上で*1
こういう人に「性被害を軽く見てる」とかマジで言われたくねえ~~~~!!!(お気持ち大絶叫)
性被害が軽く見られがちな風潮を作ってきたのって「月曜日のたわわ」の広告とかよりもあなたが言ってきたような現実の人間を対象にした「冗談」の数々じゃないんですか!?(根拠のない決めつけ)
どの立場からそんなこと言ってるんですかあなた!!

 

いや「5年あれば紙面の雰囲気は変わる」とか言った後に14年も前の記事を引っ張り出してくるなって話なんですよ。申し訳ありません。行儀が悪すぎる。
legnum氏に関しては、今回の広告を「問題ない」とした女性の方を「ミソジニーおじさん」呼ばわりしたり、同じく女性の立場から「問題ない」と書かれた記事に「埼玉のオッサン」タグを付けたり「俺の認める意見を言う女だけが女」という態度を何度も取られていて、それが目に入るたびに一人でバチギレしていたので完全に私怨です。
マジでこの手の騒ぎにおける「俺/私が認めたやつだけが女」ってやつ死ぬほど嫌い。一番嫌い。ふざけんなって思う。

 

※2022年5月2日  12:24 legnum氏とのやり取り※

最初はここに追記として書いていたのですが長くなったので別記事に分けました。(5月2日12:45)

hepta-lambda.hatenablog.com

 

※2022年5月2日  12:24   ブコメ返信その4※

id:gyakutorajiro ネオシーダーの広告に対する嫌悪感について教えてほしいです。タイプの女性店員さんに接客されて気持ちが高ぶる、風邪が治る気がする。これは男女逆でもあり得ると思いますし、自然な反応なような気もします。

一番キツいなあと思うのは男性が声に出して「わっ、オレの好み!」って言ってるとこ(セクハラやんけ)と、
それを受けた女性店員がニコニコ笑顔で男性を見送っているところですかね。
もっと色々細かく言えることはあると思うのですがたくさんやり取りして今回は疲れてしまいました。ご容赦ください…

 

 

まだお返事したいブコメなどあったんですが体力切れです。またの機会に…(もうしばらくやりたくないよこれ~!)
体力の消耗は激しいですが今回のことをきっかけに新たに思うことや思い直すところもありますし、書いてよかったです。
記事中でも触れたのですが今生活が少々忙しくて、そちらに専念するため以降コメント等の反応を頂いても返信が遅くなるかと思います。

 

 

※2022年5月4日 6:39  コメント欄のやり取りによって考えを改めたところ※

(5/2最終追記)が嘘になってしまいました。

 

ブコメ返信その2にて以下の文を書いたのですが、

そうですね。犯罪などを描いているフィクションの広告を載せた媒体はその犯罪を肯定している、という理論を良しとしてしまうとものすごく広い範囲のフィクションの広告が出せなくなってしまいます。
性犯罪の身近さ、大人→子供という力の差、日経新聞の紙面の「現実」への近さ…などを考慮して特別扱いしてあげたい、という気持ちはとてもわかるのですが、
上でも書いたようにそういった基準の恣意的な運用はすべきでない、と思っているので「気持ちはわかるけど不適切の根拠にはできない」と書いています。

id:hokke-ookami さんより、コメント欄にて

「フィクション内での犯罪等を媒体が肯定しているかどうかって色々な基準によって定まるもので、それらの基準によって判断を変えることは「恣意的な運用」ではないのでは?」

というご指摘を頂き、しばらく考えたのち、たし🦀……と思いましたので、この記述については撤回します。

 

私がこの文章を書いていた時は、

「この広告によって日経新聞が大人が現実で未成年を性の対象とすることを肯定しているようには見えないな」

「でも「肯定するメッセージ」として受け取る性被害当事者は居るんだろうな、掲載が日経新聞という場であることで、他の媒体に載せた場合よりそういう当事者は増えるんじゃないのかな」

「でもそういうメッセージとして受け取る人が増えるからって日経新聞に肯定の意図があることにはならないしなあ~~」

「ワイはよお、「基準の恣意的な運用」はしたくねえから…(キリッ)」

という風に思っており、このような思考があの文章となって出力されました。恥ずかしいですね(特に一番最後)

 

「犯罪行為などを描いているフィクションの広告を載せること」それだけを持って「掲載媒体が犯罪行為などを肯定していること」にはならないと思いますが、

数々の条件によって「犯罪行為などを肯定している(ように読み取れる)」こと、「発信者の意図するものではないが、結果として肯定するメッセージとして機能してしまうこと」はあると思いますし、条件によって判断を下すことは「基準の恣意的な運用」にあたるとは思いません。

謹んで訂正させて頂きます。

 

私としては依然「日経新聞に大人が現実の未成年を性の対象とすることを肯定する意図はなかっただろう(広告から読み取れるとは断言できない)」と思っていますし、

「結果として肯定するメッセージとして機能してしまうこと」については、これを持って「不適切」であると言い切るケースは「圧倒的大多数の人が肯定するメッセージとして受け取ってしまうような場合」に限るべき(受け手は個々人ごとに表現を様々なメッセージとして受け取るため)だと思っているので

広告へのスタンス自体はあまり変わっていません。

 

 

素直に「広告を見て傷付く被害当事者が居たとしても、なるべく多様な表現が世に溢れている状態を維持したい」とだけ書けばよかったんですよね。

でも傷付いてしまう人を簡単に切り捨てることは残酷だと思う…でも世の中にあるあらゆる表現は人を傷付けるものだから…(煩悶)

 

自分では色々と考えて意見を組み立てているつもりですが、なにぶん頭が悪いのでどうしても歪な点が出てきてしまうな~と反省しています。

いろんな方の意見を見ながら多分まだまだこれから私の意見にも修正を加えていくことになると思います。考えることは非常に疲れますが、頭が悪いなりに思考停止はせず、やっていきたいと思います。

*1:

一例「紹介しt・・・いや隠し撮りしてうpしてくだs・・・・」

https://legnum.hatenadiary.com/entry/20070523/1179901243

tikani_nemuru_Mさんへの返信

※2022/4/17 15:00追記※

tikani_nemuru_Mさんの記事内にて、本記事への返信および追記を頂きました。

私が問題視していた「ポジティブリストをネガティブリストに転用すること」について、

同じく「おかしい」というご認識だということです。

記事をお読み頂き、ご返信を頂けたこと、感謝致します。

※追記以上※

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